酒蔵沿革

西堀酒造は、初代西堀三左衛門が明治5年(1872年)に創業しました。

時は、江戸時代幕末から明治維新の激動期。
幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を及ぼした儒学者、大橋訥庵(おおはしとつあん)を婿養子として迎えた呉服問屋(江戸日本橋の豪商佐野屋)は、坂下門外の変(1862年)を経て、栃木県小山市の蔵(現在の仕込蔵)を売りに出していました。

滋賀県蒲生郡朝日野村(現、東近江市)に居を構える西堀家の10代目当主、西堀源治郎(三左衛門)は、日光連山より湧き出す自然伏流水と豊かな水田に魅せられ、その呉服問屋の酒蔵一棟を買い受け酒造りを始めました。

酒蔵は、栃木県小山市南部の旧日光街道(国道4号線)沿いに位置します。


↑蔵の西側約2km先には、思川とともに広大な水田が広がる

栃木県は、3代将軍家光公の日光東照宮造営により、日光街道筋が賑わいを見せました。
参拝に訪れる人が増えたことに伴い、酒の需要が増加し、現在の小山市・栃木市近辺には数多くの酒場が軒を並べました。

明治7年の資料によれば、栃木県の酒類生産は全国第三位でした。
2013年時点の統計でも、栃木県内の日本酒生産量の7割以上が、栃木県南部に集中しています。

関東平野の広大な水田に恵まれ、江戸にも近く、特に酒造りに適した良質な水が得られる場所であったことがその理由と言われます。

栃木県は、水系が那珂川水系(県北)、鬼怒川水系(県央)、渡良瀬水系(県南)の3つに分類されます。
特に渡良瀬水系の硬度は醸造に適した硬度である特徴があり、永らく銘醸地の歴史を築いてきました。
当蔵の位置する小山市もまた、この渡良瀬水系に位置し、この水系に則した酒造りを行ってまいりました。

北関東には、近江商人をルーツとした酒や味噌、醤油を造る醸造業を営む企業が、今なお多くあります。

古くは、戦国大名で日野城主であった蒲生氏郷(1556~1595)の転封を契機に、近江国の日野商人たちは北関東へのを行き来を頻繁に行い、商人ネットワークが形成されていきました。

たとえば、現在の栃木県宇都宮市には「日野町通り」という名の最も古い商店街がありますが、
これは蒲生氏郷の子、秀行が下野国宇都宮に国替えとなり、日野商人が移り住んでいた歴史が由来とされています。

西堀源治郎(三左衛門)もまた、酒造業を始めるにあたって近江商人のネットワークを頼りにこの地に来ます。
創業当初の屋号は「堺屋」。
故郷である滋賀県(近江国)の地名が入った「琵琶錦」「比良の峯」などの銘柄を展開しておりました。


↑琵琶湖西岸の比良山地を由来とする「比良の峯」や「琵琶錦」など滋賀県に縁のある名前

酒蔵の経営を番頭が切り盛りしていた当時は、滋賀県と栃木県とを行き来していたそうです。
また、酒造業の他にも京都御所の北側で紡績業や、滋賀県で材木問屋なども営んでおりました。

二代目源治郎(庄蔵)(1875-1933)は、酒造業の傍ら銀行や貿易会社の重役を務め、酒蔵の発展にも大きな貢献をし、礎を築きました。現在の酒蔵に残る大半の建物は、この当時に建てられたものです。


↑正面中央左手が二代目、右隣が三代目。(大正期)

三代目源治郎(1901-1973)が当主となった昭和期には、第二次世界大戦が勃発、戦争終結後、連合国軍(GHQ)の占領下に実施された農地改革によって波乱、様々な難局が襲います。

様々な難局を乗り越えながら、四代目龍雄(1929-2005)は番頭制度を改め、昭和32年に現行法における法人成りをします。

そして、「飲んでいただく方が若々しく盛るように」という願いをもとに、「若盛(わかざかり)」という銘柄が誕生しました。

昭和期は、この「若盛(わかざかり)」を代表銘柄として、栃木県をはじめ広域に展開を開始していきました。
高度経済成長時代と相まって、一時期は約3,000石(一升瓶で30万本)まで現在の仕込蔵で生産していました。


↑戦後の写真(昭和期)。正面中央は四代目。

1970年代後半をピークに、日本酒業界の大量生産時代は節目を迎えていきます。
昭和後期には、級別制度の廃止、特定名称酒分類の登場など、時代も税法も変化の時代を辿っていきました。

昭和後期から平成初期にかけて量から質へ転換を図る中で、「少量生産の高品質なお酒をまずは地元の方へ、地産地消につなげたい」という想いから、銘柄「門外不出」が誕生しました。

今では当蔵の代表銘柄となっており、現在でも9割以上が栃木県内で消費されている銘柄になります。

「門外不出」の由来はこちら


↑日光東照宮の酒樽の様子。若盛、門外不出の2銘柄が飾られている。

当蔵の酒造りは、平成12年から当蔵で杜氏として酒造りに携わった南部杜氏の名匠、故・継枝邑一氏の技術を受け継いでいます。

継枝邑一杜氏は、84歳でも現役の杜氏で、当時現役最高齢の杜氏として書籍にも紹介されたベテラン中のベテランでした。
日本で最大の流派である南部杜氏協会にて、生涯二度の首席を冠した唯一の名匠として当時有名で、86歳で亡くなるまで生涯現役の杜氏でした。

現在は、継枝氏のもとで共に酒造りを行ってきた社員が製造責任者・杜氏として、現在の醸造を支え「社員造り」を行っています。


↑南部杜氏の名匠として生涯現役を貫いた継枝氏

品質にこだわり、酒造りの技術に磨きをかけてきた現在、おかげさまで国内外の鑑評会・コンテストで多数受賞を多数頂くことができて参りました。

参考:受賞歴はこちら

また、元号は令和に入り、時代の趨勢も大きく変容してきました。

日本国内の日本酒消費量は、昭和後期のピークから4分の1まで減少し、酒蔵の数も年々減少し続けています。
日本国内で消費される酒類のうち、明治時代は99%近くが「日本酒(清酒)」でした。
しかし、現在は他ジャンルの酒類の台頭や嗜好の変化から、わずか6%程度にまで落ち込んできています。
さらに直近では、100年に一度のパンデミックにも見舞われ、業界全体でも受難の時代を迎えています。

当蔵は現在、「日本酒造り」というコアの醸造技術を核にしながら、日本酒をはじめ、焼酎、リキュール、スピリッツ、ウイスキーといった多彩な酒造りを行っています。

時代とともに酒造りのあり方も変化しています。

伝承技術として守るべきものを守り、同時に現代と呼応して新たな物事に挑み続ける。
先人の創意工夫の蓄積によって、現在の我々が支えられていることを考えれば、次の世代へ向けて新たなチャレンジを行っていくべきだと考えております。


↑世界初のLED色光照射発酵日本酒「ILLUMINA(イルミナ)」の醸造

今、世界で非常に注目されている日本産品の1つが日本酒であり、年々日本からの輸出量は過去最高を記録しています。

当蔵でも、2018年から本格的に海外輸出を行ってまいりました。
2022年現在、8カ国の輸出を行っており、より一層、世界に向けて日本の酒造文化を伝えていきたいと考えております。

 

<その他情報>

約3000坪の敷地内にある蔵の大半が江戸末期〜大正時代の建築です。
創業当時からの酒蔵を今なお現役で使用している酒造場としては、県内で最大規模となります。

平成20年3月、文化審議会より「長屋門」「仕込蔵」「瓶詰場」「煙突」の計4棟が国登録有形文化財として登録されました。

平成7年には、国登録有形文化財である「仕込蔵」を改造した「前蔵アンテナショップ」をオープンしました。
ここでは、蔵直売所ならではの試飲販売や、仕込み水をご堪能頂くことが出来ます。

また、お客様との接点を積極的に持ち、より多くの方に日本酒の世界を知っていただきたいという想いから、毎年定期的に蔵開きイベントを複数開催しています。

・若盛祭(3月頃)
・日本酒ガーデン、灼躍の宴(夏〜秋)
・新酒初しぼりの会(12月頃)
etc.(詳しくはHP、Facebook)

永らく地元に愛され続けてきた老舗酒蔵として、地域社会への恩返しの想いも込めた「若盛祭(わかざかりまつり)」には、毎回1000名を超えるお客様がいらっしゃいます。

2013年、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことも相俟って、ますます日本酒(Sake)が世界に注目されています。

日本酒の伝統と技術を継承し、現代に於いて挑戦と革新を続け、国内および世界に向けて発信することで日本酒文化を後世に紡ぐことが私たちの使命と考えております。